(おや…?

あんな社員いたかな?)

見覚えのない女性とすれ違い、彼は違和感を覚え、首を傾げた。


超巨大企業神羅、その本社ビルの上層階。


彼女の向かう先にあるのは、先ほど彼が出てきた資料室だ。

一定以上の役職の者でないと、自由に入れない部屋である。

どうやら入り口のセキュリティシステムで困っているようだ。

彼は首をひねり、内心つぶやいた。

(知らずに来たのか?

ずいぶんお粗末な行動だな…

誰かのために、ここに資料を取りに来たのかも知れない。

無知は罪ではない、か…?

ま、俺も社員を全員把握している訳じゃない)

他部門であれば、自分が相手を知らない可能性は高い。

別に急ぎの用もないことだし、助けてやってもいい。

弱い立場の者には良い上司で在りたい。

部下に尊大な態度の同僚達がいる、常々ああはなりたくないと心がけをしている。

ただの自己満足だが、思い通りにならない事ばかりのこの会社の中で、 せめてこのくらいはいいだろう。


そう自分で結論付け、彼女に向かって歩いていく。

「おい、君」

彼が声をかけると、彼女が飛び上がって驚いた。

「どうかしたのかい?」

振り向いたのは二十歳そこそこの若い女性だ。

少しきつい目つきをした、茶色い髪を後頭部で束ねた美人だった。

胸元の開いた上衣、短い筒状のスカートを身に着けている。

彼は露出の高い同僚を思い出し、何故か慌てて、目線を顔に戻す。

眼鏡の奥、右目のみが自分を見ていた。

左の目にはガーゼが貼られている。

それより、右目の睨みつける視線に驚く。

睨まれている事に気がつき、ようやく違和感の正体を知った。

先ほどすれ違ったとき、彼女は自分に会釈や目礼をしなかったのだ。

まあ、それ以前に自分の存在にすら気付いていなかったようだが…。


(つまり俺はそんなに存在感がないのか…?)


ため息を吐きたくなる結論が浮かんだが、彼は無表情を貫いた。


誰かに睨まれるのは慣れているつもりだった。

そのことが彼女を社員でない、と明白にした。

社員なら、それなりの地位にいる自分にこのような態度はとれない。

この会社内で自分に尊大な態度をとれるのは、上にいる社長と副社長だけである。

嫌い合っている同僚の腹心だろうが、自分に表向きは従順だろう。

彼女はもう少し侵入の際に心構えをすべきだ。

慌てて愛想よい笑顔を作る彼女に、心の中で苦笑する。

これでは危険分子だ、と自分で言っているようなものではないか。

治安維持部門の警備部に知らせるべきか。


そう考えてから、笑みを浮かべた。

まあ別にいいだろう。


不穏分子の侵入を許したのは奴の失態なのだからどうでもいい。

治安維持部門統括の無能男が、嫌いだ。

奴の指揮によるザルな警備も、部下に対する横柄で乱暴な態度も、軽蔑にしか値しない。


「開けてやる」

「!?」

彼女の驚いた顔は案外、年相応の愛敬がある、そんなことを考える。

「ただし、閲覧のみだ」

彼は付け加える。

「ここの物は持ち出せば警報が鳴るぞ」

ただの気まぐれで、自分の足を掬われる事になっては堪らない。

「持って行きたい情報〈モノ〉は、全てここ」―彼女の額を指差す―「に収めろ」

何かを持ち歩く行動の危険性は分かるだろう。

「付いてこい」

IDカードと指紋認証、彼はそれでここの扉を開くことができる。


不穏分子に手を貸す。


ささやかすぎる反乱に、自分がおかしかった。

ここを嫌っていながら、ここに依存しきっている自分は道化だ。

例え多少の情報が流出しようとも、この会社は揺るぎない。

流れて困る、大事な資料はこんな所にない、というのも理由の一つ。

彼女に向かって振り向く。 「何が見たい?」

「…科学…部門…」

「いいだろう」

資料室内に入り歩き出すと、彼女が背後に従った。

宝条も嫌いだ。


奴の所業に興味はない。

……目を閉じ、耳を塞いでいるという方が正しいのかもしれない。

伝え聞くだけで胸糞が悪くなる実験の数々。

上が指示するのだから、会社の方針なのだ、…仕方がない。

この会社全体が狂っている。

興味ない、知りたくない。

自分には、ひたすら、目を反らすことしかできない。

「ここだ」

足を止めた先の本棚には、科学部門の資料の山。

古代種だの約束の地だの、社長は夢を見ている。

アイツに期待しすぎだ。


「…三十分だ」。

そう言い残し、離れる。

おそらくここには彼女の欲する資料はない。

だが教える気はない。



自分は地に足を付け、せいぜい金儲けのために働く―


(つまらん、人生や。

これで、ええのか?)


自分の部門の資料に手を伸ばす。


都市開発

力学と物理学

材質の強度と重量

自分にはやりたいことがあるのだ、ここで。


だから―

―見ない


警報は切ってある。

彼女は好きにすればいい。

資料の紛失には、しらばっくれればいい。

自分を責める事ができるのは社長くらいだ。

ワンマン社長だが、俺の手腕はそれなりに評価しているはずだ。

自分の能力には多少なりとも自負がある。

切捨てては会社に痛手だ、自分にとって代わる人材もない今は。


ページを繰る手が止まる。

自分の手にした資料が古いものだったことに気がついて。

これでは読んでも余り役立たない。

舌打ちして戻す。


科学部門の資料、か…。


『科学部門の闇―地下都市〈ディープ・グラウンド〉触れるべからず』

昔プレジデントにそう言われた事を、ふと思い出した。

そこはここの―ミッドガルの地下にあり、都市でありながら、生体実験を―

おぞましいところだ。

自分には、関係ない。

〈異能者〉の誘拐と、それに対する実験…


…関係、ない。


知れば、自分もただでは済まないかもしれない。

言い訳に過ぎないが、全てを知るべきではない、そんな気がする。

自分は恐らく、「知ること」が、怖いのだ。


三十分はゆうに過ぎた。




いくつかの資料を手にして、残りは片付ける。


彼が出入口に向かう途中、室内を見渡しても、彼女の姿はなかった。


足を止めずに彼女の姿を思い出す。

そういえば、名前も聞かなかったな。

そんな思考には苦笑するしかない。

無駄なことだ。

もう彼女と自分の再会はないだろう。


彼女が神羅に敵対し続ければ、処分される。

自分には、関係ないことだ。

彼は足を止めることなく廊下を歩く。


仮に彼女が捕まり、自分の名前を出したとしても、知らぬ存ぜぬ、で構わない。

縁があれば、また会う事も有るだろう。

生きて、いれば…






















7本編直前の話。

DCでの
「神羅の資料室で断片を見た」

この一言から妄想しました。


「幹部だったのに知らなかった」

というより

「〈異能者の処遇について〉知ろうとしなかった」

だと思い込み。